ボランティアって誰のためにする?”残念なボランティア”にならないために

世界をよくする

大学生の長期休み、せっかくなら何か社会のためになることやりたいな。
そんな気持ちでボランティアをしてみようという学生は多い。


誰かのために何かをしたいっていう気持ちはすごく素敵だと思うけど、”残念なボランティア”にならないために、知っておいて欲しいことがある。


私は、大学1年生の春休み、「ボランティアの母」と称されるお母さんに出会った。いくつかの記事で紹介しているが八幡幸子さんという方。


彼女は震災以降、無料で自宅を開放し、復興支援にきてくれる人たちに宿と食事を提供してきた。


その方から頂いた、印象的だった言葉がある。


「ボランティアは、自分のためにするのよ」

ボランティアって聞いたら、何を思い浮かべる?

”世のため、人のため”そんなイメージがあるんじゃないかな。


え、真逆のことを言っているじゃん!そんな風に思うかもしれないけど、お母さんから頂いた言葉を私なりに噛み砕くと、こういうことだと思う。

想いの押し付けになるな

”世のため、人のため”
これはすごく素敵な思いだと思うし、大切な姿勢だと思う。


この想いを否定しているのではなくて、「想いの押し付けになるな」ということ。


残念ながら、世のため人のためを思っていても、結局迷惑なボランティアになってしまう人がいる。それには2つ種類があると思う。


①自己満足になってる人
②自己犠牲になってる人


自己満足なボランティア

大学生ボランティアとかでよく見かけるやつ。


「カンボジアに学校作ってきました!」とか「家をたててきました!」とか。


そのこと事態を否定しているのではなくて、それは本当に現地の人たちを喜ばせているのかな?ってこと。学校建てた、家をたてた、そこまではいいけどそのあとどうするの?


結局施設の管理がうまくいかなくなったとか、現地の人たちが自立できないとか。


インスタやツイッターにはきらきらした写真が並ぶけど、本当に地域や現地の人のためになる活動にできてる人はどのくらいいるのかなと思う。


自己満足で「いいことをした気」になっているのが一番怖い。

自己犠牲なボランティア

八幡さんが教えてくれた「ボランティアは自分のためにするのよ」という言葉の意味は、こちらの方が近い気がする。


優しい人にありがちなことで、どこまでも相手につくしてしまう人。


自分のお金を削って、時間を削って、体力を削って、相手のためにってボランティアをする。もはや自己犠牲ってくらいに。


でも、これってされた相手は本当に嬉しいかな?


1000円しか所持金がない友達から、800円のプレゼントをもらったとする。


これって嬉しい??
友達は、明日のお昼を200円で済ませなきゃいけない。


「いや、いいよ、自分のために1000円でちゃんと食べなよ」


そう思う人の方が大半なんじゃないかな。
善意であっても、自己犠牲の上にされたものって嬉しくないんだよね。


いや、自分のために使ってよ〜!ってなる。


自己犠牲のタチが悪い理由はもう一つある。

「私はこんなにやったのに!」

この言葉が出てきてしまうこと。これになっちゃったら終わり。笑


「私はあなたのためにこんなにやったのに!」そんなこと言われてもねぇ。それは相手への想いの押し付け。何にも相手のためになっていない。


だから八幡さんは「ボランティアは自分のためにやりなさい」という言葉をかけてくれているんだと思う。


実際、八幡さんはすごく楽しそう。
もはや、「ボランティア」という感覚もなく趣味という感じで人を受け入れ、ご飯を出しているんだろうなと思う。


だからこそ、受け取る側の私たちも笑顔になってしまうし、ゆっくり安心してしまう。
こんなに良くしてもらったから、何かお返ししたいなって思う。


自己犠牲になっているほど、人のためになっていないことはないよね。


まとめ

残念なボランティアにならないために…


◯想いの押し付けはやめよう!

◯自己満足になっていないか?

◯自己犠牲は相手のためじゃない!

これから春休み。色んな選択肢があると思うけど、形は変われど「誰かのために何かしたい」という相手想いの優しい想いが、うまく巡りますように。


ひなた☀️


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